ルイジ・ノーノ

1950年にダルムシュタット夏季現代音楽講習会に出席。そこでエドガー・ヴァレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンなどの作曲家と出会う。1950年代前半には、室内楽のための「ポリフォニカ-モノディア-リトミカ Polifonica-Monodica-Ritmica」(1951)、声楽を含む管弦楽曲「ガルシーア・ロルカへの墓碑銘 Epitaffio per Federico García Lorca」(1952-1953)、合唱と管弦楽のための「ゲルニカの勝利 La victoire de Guernica」(1954)、混声合唱と室内楽のための「愛の歌 Liebeslied」(1954)が生まれている。

その後、彼は音楽的現象としての完全性を追求し、次第に表層的なセリー技法こそ拒否するようになるが、点描性は保持し続けた。このため「時代遅れの表現主義者」としてシュトックハウゼンやブーレーズから批判された。50年代後半には、「インコントリ Incontri」(1955)、「断ち切られた歌 Il canto sospeso」(1955-1956)、「ディドーネの合唱 Cori di Didone」(1958)等を作曲。