音の玉手箱


水曜日, 12月 10th, 2014

数々の大ヒットを世に送り出している、人気ロックバンド、Mr.Children、通称ミスチル。
そのミスチルが手掛けたアルバム「HOME]の中に収録されている、「もっと」という曲にはとある思いが潜んでいた。
この「HOME」というアルバムをリリースしたのは、2007年。そのアルバムの7曲目に収録されている、「もっと」という曲は、作詞作曲を担当する、ヴォーカルの桜井和寿が、2000年に起こった、アメリカ同時多発テロを思い曲を書き下ろしたという。
この曲は以前から作られていたが、2007年リリースの「HOME」に収録された。伴奏には綺麗なフルートの音色が使われている。
また、歌詞に登場する、「悲しみの場所」というのは、グランド・ゼロのことを指していると、桜井和寿は話している。
何気なく聞いていた、この曲。このことを踏まえて聴いてみると、また違って聴こえるかもしれない。

金曜日, 11月 21st, 2014

ロシア中部で空が突然オレンジ色に輝き、隕石が落下したのではないかと話題になっている。

映像では日が暮れて暗くなった空に、突然巨大な光が映し出されている。この映像はロシアのウラル地方のエカテリンブルク近郊で夕方撮影されたもので、輝きはすぐに収まったという。この現象についてロシア非常事態省は「周辺に被害は出ておらず、非常事態ではない」としているそうだが、原因をめぐっては隕石落下説から極秘のミサイル実験説まで、専門家も巻き込んで話題になっているらしい。

ウラル地方では2013年2月に巨大隕石が落下し、衝撃波でガラスが割れるなどしておよそ人が負傷する被害が出ている。隕石落下説が有力ではないだろうか。何もないところに落ちたのなら良いのだが。

火曜日, 11月 4th, 2014

佐村河内守氏のゴーストライターだったことを公表して一躍注目された作曲家・新垣隆氏が、都内で行われたコンサートで12月上旬に「佐村河内事件の全貌(仮)」という本を出版されることを明かした。佐村河内氏との騒動に関する、新垣氏を含めた関係者の話をまとめたドキュメンタリー本で、ゴーストライター関係が結ばれた理由、告白の真相などが書かれているそう。

佐村河内氏との和解に関しては、代理人同士で話し合っている段階で進展がないとのこと。ゴーストライター騒動から一転、表舞台に出ることが多くなった新垣氏。確かに謎の多い事件だったが、何も本まで出さなくても…。

水曜日, 10月 8th, 2014

レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジと英ファッションデザイナーのポール・スミスがそろって来日し、東京都内の会見に登場したそうだ。二人は1967年に出会って以来の大親友なのだそう。

ペイジが音楽とファッションの関係について「ファッションは身の回りに常にあったし、ステージ上で自分がどういう風に見られているか常に意識していた」というと、スミス氏は「昔は音楽もファッションも自由で実験的だったけれど、今は計算されすぎている」と発言。

確かに昔は音楽もファッションも実験的な部分が多く、それによって今は様式が完成されてきているように思う。また、音楽とファッションは昔から起点も切り離せない関係性がある。セックス・ピストルズをプロデュースしたヴィヴィアン・ウエストウッドは前衛的なパンクスタイルを流行させ「パンクの女王」と呼ばれ、セックス・ピストルズをパンクのカリスマとして成功させた。

現代ではこういった音楽にはこういうファッション、というように決まり事であるかのように皆同じような格好をしているが、そろそろ常識を覆すミュージシャンが出てきてもいいのかもしれない。

金曜日, 6月 13th, 2014

昼食を食べて、ぽかぽかと晴れている日はウトウト眠くなってきますよね。

昼食後の午後2時くらいになると眠気がくるという人も多いかと思います。
なぜ、昼食後に眠くなるのでしょうか?

睡眠不足だったり、疲労が溜まっているのかと思いがちですが、
この現象は変わったことではありません。
人間は午前2時~午前4時の間と午後1時~午後4時の二度、眠気のピークがくると言われます。
ここでの眠気を我慢すると、効率が落ちたり、事故やミスが増えるということもあるようです。
できれば、昼食後の20分以内の昼寝を取るようにしましょう。
昼食後の20分以内の昼寝を取るようにすると脈拍が下がってリラックスできる状態になるようです。

木曜日, 5月 8th, 2014

その昔は合わなかったが、音楽ゲームが面白い。

コンピュータを使い「音楽の演奏」をゲームとして捉え商品化したものとして、1978年発売の『サイモン (Simon)』がある。しかし、サイモンは「音素の記憶」ゲームであり、音素も4音のみ、リズムは再現不要というルールであった。いうまでもなく、音楽を構成する三要素は「リズム、メロディ、ハーモニー」であり、音素だけの記憶ゲームを「音楽ゲーム」と呼べるのかは議論の余地がある。
その後、音楽をビデオゲームに取り入れる試みは、ファミコン時代からさまざまなゲームで試行錯誤されてきた。『たけしの挑戦状』(1986年) における「カラオケ」、アドリブ型の『いきなりミュージシャン』(1987年)、専用コントローラを付属した『ドレミッコ』(1987年)、シューティング音楽ゲームの元祖『オトッキー』(1987年)、未発売となってしまった任天堂の『ドンキーコングの音楽遊び』『サウンドファンタジー』などがある。しかしCPUのパワー不足の他、メディア容量の少なさによる曲数や音楽ジャンルの表現力に限界がみられ、ヒット作はあらわれなかった。

火曜日, 4月 8th, 2014

共鳴胴は瓢箪型で棹が付いている。中央のくびれは古い擦弦楽器において弓を使うのに邪魔にならないような形状にした名残で、ヴァイオリン属にもヴィオール属にも共通するものである。 ヴァイオリン同様表板と裏板は独立しており、表板は湾曲している。ただし、湾曲した裏板を持つラウンドバック、平面の裏板を持つフラットバックと呼ばれる二つの構造が存在する。

フラットバック裏板内側面には、ラウンドバックには無い力木(ブレイス)が接着されている。ヴァイオリンやヴィオラ、チェロと違いなで肩であるが、これはヴィオール属のなごりであり、これによってハイポジションでの演奏が容易になっている。

駒は弓で特定の弦をこするのに適すよう、弦の当たる位置が湾曲しているが、形の比率は他のヴァイオリン属に比べて背が高い。尾部にはエンドピンを備えており、これを床に刺して演奏する。

月曜日, 3月 10th, 2014

1950年にダルムシュタット夏季現代音楽講習会に出席。そこでエドガー・ヴァレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンなどの作曲家と出会う。1950年代前半には、室内楽のための「ポリフォニカ-モノディア-リトミカ Polifonica-Monodica-Ritmica」(1951)、声楽を含む管弦楽曲「ガルシーア・ロルカへの墓碑銘 Epitaffio per Federico García Lorca」(1952-1953)、合唱と管弦楽のための「ゲルニカの勝利 La victoire de Guernica」(1954)、混声合唱と室内楽のための「愛の歌 Liebeslied」(1954)が生まれている。

その後、彼は音楽的現象としての完全性を追求し、次第に表層的なセリー技法こそ拒否するようになるが、点描性は保持し続けた。このため「時代遅れの表現主義者」としてシュトックハウゼンやブーレーズから批判された。50年代後半には、「インコントリ Incontri」(1955)、「断ち切られた歌 Il canto sospeso」(1955-1956)、「ディドーネの合唱 Cori di Didone」(1958)等を作曲。

月曜日, 2月 10th, 2014

1991年、こんなセットリストだったらしい。

BURN~Black Night~Long live Rock’n Roll~Child in Time , Truth Heats , The cut runs
deep~Hush , Perfect Strangers . Fire in the basement , Love conquers all .
Difficult to cure , Knocking at your back door , Lazy~ Highway Star , Smoke on
the water~King of Dreams~Woman from Tokyo

レインボーの曲も入っている事に驚く。

リッチーとジョーリンだから、とは言えるかもしれないが。

 

水曜日, 1月 29th, 2014

ミューズは1990年代初頭、イングランド南西部の「音楽以外に楽しめるものが何もなかった」という田舎町、ティンマスで結成される。メンバーはマシュー・ベラミー、クリス・ウォルステンホルム、ドミニク・ハワードの3人。それまで彼らは同じ学校に通いながら別々に活動していたが、ドミニクのバンドにマシューがギタリストとして加入し、後にクリスが参加した。結成当初は「Gothic Plague」と名乗り、現在とは大きく異なるファンク系のロックをやっていたという。

その後ゴシック/グラム的要素を含んだ音楽性に変更し、1994年に「Rocket Baby Dolls」と改名。地元のバンドコンテストで優勝したことがきっかけでプロを目指すことを決意。同時にティンマスを離れ、バンド名も「ミューズ」に改めた。

以後数年はロンドンやマンチェスターでライヴ活動を行う。1998年、マネジメント企業に誘われて行ったニューヨークとロサンゼルスでの小さなギグが契機となり大手のレーベルと契約を締結。2枚のEPを出した後、1999年にジョン・レッキーのプロデュースでデビュー・アルバム『ショウビズ』を制作。作風の類似性からレッキーが過去に手がけたレディオヘッドと比較される一方で、全英アルバムチャートで29位を記録。NMEアワーズの新人賞を受賞した。